【タイ王国】古都アユタヤ
旅行
2026/07/03
地球の鼓動が伝わってくるようなダイナミックな自然遺産、太古から現代まで、人の営みを物語る文化遺産。ユネスコの世界遺産のなかから、一度は見てみたい魅力あふれる世界遺産をご紹介します。

- 文/佐道眞左 写真/富井義夫

- タイ王国
タイ中部、首都バンコクの北、約76㎞に位置するアユタヤは、14世紀半ばにウートン王が築いたアユタヤ王朝の首都として栄えた都市。アユタヤ王朝は15世紀にはアンコール朝を滅ぼし、スコータイ朝を併合し、タイ全土に領土を広げた。強力な神権政治によって417年間にわたった統治の間に、歴代王はその威厳を示すため寺院を建立。純金の仏像や荘厳な美術品、工芸品の制作に費用を惜しまず、独特の美術様式が生み出された。水上交通の要衝であるアユタヤは、17世紀初めにはヨーロッパや中国との交易により、国際貿易都市として繁栄。日本からも朱印船が来航し、商人であり軍人としても活躍した山田長政をはじめ、最盛期には2000~3000人ほどの日本人がアユタヤで暮らしたといわれている。しかし1767年、33代続いた王国は、ビルマ(現在のミャンマー)からの度重なる攻撃によって滅亡。「黄金の都」と呼ばれたアユタヤはビルマ軍により徹底的に破壊された。現在は遺跡群が歴史公園として整備され、タイの文化的伝統を物語る貴重な証拠として、世界文化遺産に登録されている。
アユタヤを象徴する遺跡を巡る

アユタヤ王朝時代の遺跡は、チャオプラヤー川と、その支流に四方を囲まれた中洲のアユタヤ島内に集まっている。なかでも象徴的な遺跡が、アユタヤ最大の寺院「ワット・プラシーサンペット」(冒頭写真)だ。アユタヤ王朝の初代ウートン王が、建国当時に王宮を建設した場所で、王宮が焼失・移転した後に王室の守護寺院として建設された。1500年には高さ約16mの純金で覆われた立仏像が建立され、最盛期には大小34もの仏塔が並んでいたとされるが、いまは破壊された仏像やがれきとともに、3基の仏塔が残るのみ。スリランカ様式の仏塔には、ラーマティボディ2世とその父、兄の、3人の王の遺骨が納められている。また、「ワット・プララーム」(写真)も訪ねたい遺跡のひとつ。ウートン王の菩提寺で、トウモロコシのような形をしたクメール様式の仏塔が美しい。
破壊の激しさを伝える神秘の仏頭

2代ラーメスアン王が建てたという説と、3代ボロム・ラーチャティラート1世が建てたという説がある、歴史ある重要な仏教寺院のひとつ「ワット・マハタート」にも必ず立ち寄りたい。当初聳(そび)えていた黄金の仏塔は無残に破壊され、広い敷地内に崩れ落ちた壁などが残されている。切り落とされた仏像の頭部が、自然に菩提樹の根に覆われた神秘的な姿(写真)が、人々の信仰を集めている。神聖な存在なので、写真を撮る際は、自分の頭が仏頭より高い位置にならないよう注意しよう。
草原に横たわるビッグスケールの寝釈迦仏


穏やかな表情で草原に横たわる巨大な寝釈迦仏「ワット・ロカヤ・スターラーム」(写真)は、高さ約5m、全長約28m。近くで拝むとそのスケールに圧倒されてしまう。当初存在した寺院や本堂はアユタヤ王朝陥落時に破壊され、1956年に仏像のみが復元された。ほかにも、修復作業が進み、アユタヤのなかで特に華麗だったといわれた往時に近い姿を見ることができる「ワット・チャイワッタナラーム」など、見逃せない遺跡が中洲に点在している。エレファント・ライディング(写真/PIXTA)で、象の背中に揺られながら遺跡を見学するのもまた楽しいものだ。
中洲の外縁にもみどころが


世界遺産の構成資産ではないが、中洲の外縁には、アユタヤ最古の寺院の遺跡ともいわれる「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン」や、アユタヤ王朝以前の遺跡も残る。
ワット・ヤイ・チャイ・モンコンは14世紀にウートン王が、セイロン(現在のスリランカ)への留学から帰国後の僧侶の瞑想の場として建てた寺院。スリランカ様式の大仏塔(写真)は、アユタヤの仏塔では珍しく、実際に登ることができる。仏塔を囲むようにずらりと並んだ坐仏像(写真)などもあり、見応えがある遺跡だ。歴代王ゆかりの寺院の跡や、崩れかけた仏塔、頭部のない仏像など、ひっそりと時を重ねる遺跡の数々が、栄枯盛衰の歴史を語りかけてくる古都アユタヤ。ワット・プラシーサンペットやワット・マハタートなどではライトアップも行われるので、日中とはひと味違う表情の遺跡を見学するのも味わい深い。バンコクから車で約2時間と、気軽に日帰りで楽しめるのも魅力だ。
(*世界遺産データ)
Historic City of Ayutthaya
(*世界遺産名)
古都アユタヤ
●登録 1991年/文化遺産
●所在地 タイ王国アユタヤ県














