【日本】嚴島神社と原爆ドーム
旅行
2025/07/11
地球の鼓動が伝わってくるようなダイナミックな自然遺産、太古から現代まで、人の営みを物語る文化遺産。ユネスコの世界遺産のなかから、一度は見てみたい魅力あふれる世界遺産をご紹介します。

- 文/佐道眞左 写真提供/広島県(嚴島神社)、広島県観光連盟(原爆ドーム)

- 日本 、 広島県
現在、26件が登録されている日本の世界遺産のうち、2026年に登録30周年を迎えるふたつの文化遺産がある。古くから人々に篤く信仰されてきた「嚴島神社」と、平和への願いが込められた「原爆ドーム」だ。広島県のふたつの世界遺産に、いまも多くの人々の祈りが捧げられている。
神宿る島の壮大な海上社殿

天橋立(京都府宮津市)、松島(宮城県松島町ほか)と並び「日本三景」のひとつに数えられる宮島は、古くは島そのものがご神体として崇められ、遠く離れた対岸からも遥拝されてきた。“神を斎(いつ)き祭る島”という意味から「伊都岐島」と呼ばれ、それが「厳島」となった。嚴島神社の創建は593(推古天皇元)年。ご神体である陸地を避け、潮が満ち引きする水際に社殿が築かれた。神社が大きく発展し、現在のような姿になったのは平安時代末期のこと。1146(久安2)年に安芸守(あきのかみ)となった平清盛は、夢のお告げに従って嚴島神社を篤く敬い、社殿を整えていく。清盛は、1164(長寛2)年には33巻からなる絢爛豪華なお経『平家納経』(国宝)を奉納、1167(仁安2)年に武士で初めて太政大臣となる。1168(仁安3)年には清盛の援助により嚴島神社の大修築が行われ、寝殿造りの様式を取り入れた海上社殿(写真)が造営された。
刻々と表情を変える幻想的な景観


標高535mの弥山(みせん)を背景に、御笠浜(みかさのはま)に建てられた社殿は平安貴族の住宅様式である寝殿造りを取り入れたもの(写真)。海側から見ると、高さ約16mの大鳥居の先に三女神を祭る御本社と、摂社(御祭神とゆかりの深い神を祭る神社)である客(まろうど)神社が立ち、いずれの神社も本殿、幣殿、拝殿、祓(はらい)殿がある。本社を中心に、客神社、大国(だいこく)神社、天神社、反橋(そりばし)や能舞台など、社殿を結ぶ廻廊(写真)の長さは東西合わせて約260m。干潮時には大鳥居まで陸続きになるが、1日2回、潮が満ちると大鳥居や廻廊で結ばれた朱塗の社殿が海に浮かんだような幻想的な表情を見せ、“極楽浄土”を思わせる壮麗な空間が出現する。青い空と海に映える鮮やかな朱塗の社殿、黄金色に染まる夕方に、海上に浮かびあがる大鳥居など、自然と人工物である建築が織りなす景観は、潮の満ち引きに加え、天気や時間帯によっても刻々と表情を変える。
守り継がれる平安様式の名建築


平家滅亡後も嚴島神社は崇敬を集め、平安の世に築かれた美しい社殿群は、時代を超えて守り継がれてきた。2度の火災のほか、台風や高潮などの自然災害により幾度も大きな被害を受け、海水による床柱の腐食なども免れ得ないが、その都度再建や修理が行われてきた。現在の社殿(写真)は1241(仁治2)年の再建で、本社本殿は1571(元亀2)年に毛利元就により建て替えられたものだ。朱塗の大鳥居(写真)は1875(明治8)年に建てられたもので9代目。2019~2022年には令和の大修理が行われた。神の島とされた宮島では、古くから農耕が禁じられ、木々も大切に保護されてきた。そのため、いまも残る弥山原始林(国の天然記念物)など手つかずの自然も、構成資産として世界文化遺産に登録されている。
込められた世界平和への願い

1945(昭和20)年8月6日、広島に人類史上初の原子爆弾が投下され、街は一瞬にして破壊された。爆心地から半径約2㎞以内が壊滅的な被害を受けるなか、ほぼ真上から爆風を受けたために奇跡的に全壊を免れたのが、原爆ドームだ。この建物は、1915(大正4)年にチェコの建築家・ヤン・レツルの設計により「広島県物産陳列館」として建てられ、「広島県立商品陳列所」「広島県産業奨励館」と改称されたもの。楕円形のドームが目を引く、ネオ・バロック様式の美しい建物だった。原爆により残骸となった建物はいつしか原爆ドームと呼ばれるようになり、撤去か保存かで世論が分かれたが、1966(昭和41)年に広島市議会が保存を決議。核兵器の廃絶と世界の恒久平和への人類の願いが込められた平和の記念碑として、やがて世界遺産に登録された。
原爆ドームのある広島は嚴島神社への拠点となる都市。多くの人々の祈りが捧げられてきたふたつの世界遺産を1日で訪ねることができる。
(*世界遺産データ)
いつくしまじんじゃ
嚴島神社
- 登録 1996年/文化遺産
- 所在地 広島県廿日市市宮島町
げんばくドーム
原爆ドーム
- 登録 1996年/文化遺産
- 所在地 広島県広島市








