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和歌が紡ぐ平安と雅の世界 『源氏物語』と春の京都を歩く

旅行

2024/03/08

今年は、紫式部と『源氏物語』が大きな注目を集めています。この王朝文学の最高傑作といわれる作品は、平安京を舞台に繰り広げられる大人の恋の物語。京都市、宇治市……。物語の舞台となった桜咲く古都に、平安時代の面影を見つける春の旅路。

ライター
取材・文/薄雲鈴代 写真/堀出恒夫、宮田清彦
エリア
京都府

紫式部の邸宅跡で 心静かに写経を

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京都駅に降り、約1000年前、王朝人を夢中にさせた『源氏物語』の舞台を旅する。まずは、作者である紫式部が暮らしたという「平安京東郊の中河の地」を訪ねる。そこは現在の京都御所の東向かい、「廬山寺(ろざんじ)」(写真)に当たる。
平安の昔、ここには紫式部の曽祖父に当たる堤中納言こと、藤原兼輔(かねすけ)の邸宅があった。紫式部はここで育ち、結婚生活を送り、一人娘の賢子(かたこ)を育てたといわれている。

「拝観に来られた方がどの部屋で紫式部さんは執筆したのですか? と度々尋ねられますが、廬山寺は安土桃山時代に移転してきたので、式部の邸宅は残っていないのです」と、執事長の町田亨宣(こうせん)氏。
本堂は仙洞(せんとう)御所から移築されたもので、絵巻や貝合わせなど『源氏物語』関連の美術品が展示されている。なによりも、阿弥陀三尊のすぐそばで、心静かに写経ができる。紫式部が物語を執筆した地で筆をとった。

いまも平安の面影を宿す 貴族の清遊地・嵐山へ

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丸太町通から嵐山方面へ行く市バス93系統に乗り、京都御苑を右に流し見しながら、一路西へ。平安時代の貴族たちも洛中の喧騒から離れて、花を訪ねに嵐山へ出かけている。
いにしえより嵐山は、貴族たちの遊宴の地で、大堰川(おおいがわ)に舟を浮かべ、管弦の調べを聴きつつ和歌を詠んだ。松の翠(みどり)が美しい山容で、春になれば、山桜が淡い色を添える(写真)。この大堰川の流れは、渡月橋を過ぎると桂川と名を変える。ちなみに渡月橋という名は、鎌倉時代に亀山上皇が詠んだ歌に由来し、紫式部のころは、法輪寺橋といった。
その亀山上皇の離宮があった辺りに、現在は「翠嵐(すいらん) ラグジュアリーコレクションホテル 京都」がある。館内の「茶寮 八翠(さりょう はっすい)」(写真)にて、季節のお茶菓子で一服。築100年を超える茅葺きの古雅な庵を改装し、くつろぎのカフェになっている。テラス席からの眺めはまさに、王朝貴族が愛でた春景色である。

百人一首をそらんじつつ 風流な庵で「嵯峨豆腐」を

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茶寮 八翠を後にして、すぐ隣にある百人一首と日本画のミュージアム「嵯峨嵐山文華館」へ。嵐山の対岸にある小倉山は、歌人藤原定家(ていか)が庵を結び『百人一首』を編纂した場所でもある。そのゆかりの地にあるミュージアムには、和歌の解説に加え、歌人フィギュアが100体並んでいる(写真)。57番目の紫式部の歌をそらんじ、大堰川畔を上流の方へ歩いてゆく。
『源氏物語』では、明石の君と姫君が人目を忍び暮らしていた屋敷が、この嵯峨嵐山文華館の辺りにあったとされる。どんな住まいだったのだろうと想像しつつ山道を辿って行くと、隠れ家を思わせる、物語の舞台そのもののような風流な庵に出くわす。川岸の一枚岩の上に建てられた嵯峨豆腐料理の「松籟庵(しょうらいあん)」(写真)だ。ここはかつて近衛文麿(このえふみまろ)の別邸だったところで、おかみの小林芙蓉(ふよう)氏は書家でもある。ここで嵯峨豆腐のコース料理をいただくことにした。

竹林を抜け物語の舞台へ “光源氏写し顔”を拝む

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嵐山公園を抜けて、大河内(おおこうち)山荘を右折すると、竹林の小径となる。その神秘的な竹林に魅せられ、海外からの旅行者が後を絶たない。道すがら『源氏物語』の舞台である「野宮(ののみや)神社」に詣でる。ここは、伊勢神宮に仕える斎王(未婚の皇女)が、伊勢に向かう前に、俗世を離れて潔斎する宮だった。物語に描かれる「黒木鳥居」(写真)が現存している。
JR嵯峨野線の線路を越えて、嵯峨釈迦堂とも呼ばれる「清凉寺」へ。この寺は嵯峨天皇の皇子・左大臣の源 融(みなもとのとおる)の山荘(棲霞観(せいかかん))があった地で、源 融は光源氏のモデルといわれる人物だ。春と秋に特別公開される霊宝館には、阿弥陀三尊像が安置されていて、源 融の顔を模刻したという国宝の阿弥陀如来は“光源氏写し顔”といわれている。
JR嵯峨嵐山駅から京都駅に戻り、「ホテルグランヴィア京都」(写真)に宿をとる。京都駅の上に位置する客室だが、喧騒から離れ、静謐(せいひつ)なひとときを過ごせる。

物語最後の舞台、宇治は 極楽浄土の平等院から

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翌朝、JR京都駅から奈良線の快速電車に乗ること約15 分で、宇治駅に着いた。
『源氏物語』54帖最後の「宇治十帖」は、光源氏の子である薫と、孫である匂宮(におうのみや)による物語。浮舟(うきふね)という姫君を巡って定めなき浮世が綴られている。
宇治橋通りの商店街を歩き、宇治橋のたもとに着くと、紫式部の像と最終巻「夢浮橋(ゆめのうきはし)」の碑が迎えてくれる。そこから表参道を行くと、世界遺産「平等院」(写真)がある。
大棟の両端に金色の鳳凰が見える鳳凰堂には、国宝の「阿弥陀如来坐像」が坐す。仏師・定朝(じょうちょう)の作であることが確実視される、現存唯一の像である。その周囲の長押(なげし)の上壁には、52軀の「雲中供養菩薩像」が、飛雲に乗り音楽を奏で舞っている。古来、「極楽が疑わしければ、宇治の御寺へ行きなさい」と謳われたほど、西方浄土を具現化した寺である。ここは藤原氏摂関時代、権勢をふるった藤原道長の別荘だったところを、息子の頼通が寺としたといわれている。

茶処の名物料理に舌鼓 雅ただよう朝霧橋へ

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藤原道長の長女で、のちに一条天皇の中宮となる彰子(しょうし)に仕えていた女房(教育係)が紫式部である。その宮廷サロンで『源氏物語』は誕生している。

物語のなかでは、光源氏の別荘だったところを、息子の夕霧が受け継ぐ。作中ではそれが「宇治川左岸の広々としたところ」とあるので、まさしく平等院の辺りに思い及ぶ。これより宇治川畔のあじろぎの道を歩き、創業1840(天保11)年ごろという京料理「辰巳屋(たつみや)」(写真)で、宇治ならではの抹茶料理を味わう。
宇治川の上流に架かる喜撰橋(きせんばし)を渡って、塔の島、続いて橘島を散策し、朱色が映える朝霧橋を渡る。橋のそばに、はかなげな浮舟に寄り添う匂宮の像がある(冒頭写真)。情熱的な貴公子、匂宮が浮舟を小舟で連れ出し、橘の小島を見せる場面である。浮(憂(うき))舟という名のとおり、彼女はふたりの貴公子から愛され、揺れに揺れ、苦悩の果てに宇治川に入水し、身を隠すのである。

「宇治十帖」がそこかしこに 締めは体験型の博物館で

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宇治川から風情あるさわらびの道をゆく。すぐ近くには、世界遺産の神社があり風雅の極み。与謝野晶子が「宇治十帖」を詠んだ歌碑もあり、道沿いに見かける椿は、その名も「ヒカルゲンジ」。牡丹咲きの華美な花である。その先に「宇治市源氏物語ミュージアム」(写真)がある。常設展示の平安の間は、光源氏が晩年に暮らした邸宅の六条院を表したもので、実物大の調度品や貴族の暮らしぶりが垣間見られる。また、宇治はアニメの聖地でもあり、オリジナル短編アニメ『GENJI FANTASY ネコが光源氏に恋をした』も上映されている。
最後に宇治橋を渡る。橋の守護神、橋姫もまた『源氏物語』に登場する。宇治川の流れは激しく、美しい。もの思いにふける薫の君が歌を詠む。
「橋姫の心をくみて高瀬さす 棹(さお)のしづくに袖ぞ濡れぬる」
宇治橋を後にして、JR宇治駅へ向かう。


※本記事は、『J-B Style24春号』(P20~28)を転載しています。

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