もっとJ-B Style! +α取材ネタ

四大浮世絵師の傑作を深掘り!

歴史

2025/07/18

『J-B Style2025年夏号』の「日本が誇る浮世絵のいろは」(前編)では、浮世絵の誕生から四大絵師と浮世絵のジャンルについて見てきました。Webマガジンでは、本誌で案内しきれなかった各作品の注目ポイントについて、太田記念美術館主席学芸員の日野原健司さんの解説をもとにご紹介します。

ライター
取材・文/山内貴範 写真/ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
エリア
日本

変わりやすい世の中=浮世を描いた浮世絵は、江戸時代の人々にとって“私たちのいまを描いた絵”という存在だった。さまざまなテーマで当時の世相を描いた浮世絵は、まさに“江戸文化の豊かさの象徴”でもある。とくに好まれた3つの題材――「美人画」「役者絵」「名所絵」から、それぞれよく知られている名作をじっくりと見ていこう。

当時の江戸っ子を魅了した「大首絵」

2

「美人画」の名手とされたのが、蔦屋重三郎(以下、蔦重)がプロデューサーとなった喜多川歌麿(きたがわうたまろ)である。歌麿は女性の顔を大きく描く“大首絵(おおくびえ)”を生み出した。その代表作が『五人美人愛敬競(あいきょうくらべ) 松葉屋喜瀬川』(写真左)や『婦女人相十品(ふじょにんそうじっぽん) ポッピンを吹く娘』(写真右)である。
「歌麿はそれまでは女性の全身を描いていましたし、顔をアップにするのは挑戦的な表現だったと思います。大胆なクローズアップで、女性の内面を掘り下げようとしています。現代の感覚からすると、目が細いし顔も細長いため共感しづらいかもしれません。ですが、江戸時代にはこうした顔立ちが“美しい女性の基準”とされていたんですよね。当時の美意識をうまく表していると思います」と日野原さん。
日野原さんによると、歌麿は手や指、肩の動きなどの細やかなしぐさに女性ならではの美しさを描き出そうとしているという。そうした細やかな表現が、当時の江戸っ子を魅了したのである。

「役者絵」は江戸時代のブロマイド

ダミーイメージ

歌舞伎は江戸時代に最も人気のある大衆エンタメだった。いまでいうブロマイドやパンフレットとして制作されたのが「役者絵」だ。蔦重が版元を務める「耕書堂(こうしょどう)」から出版された東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)の『三代目大谷鬼次(おおたにおにじ)の江戸兵衛』(写真)が代表作である。日野原さんはこう話す。
「写楽は出版前に下積み期間がなく、いきなり登場した大型新人。しかも、通常ならネームバリューのある一流の浮世絵師しかできない、大判サイズの浮世絵を出版しています。松平定信が進めた“ぜいたく”を抑制する寛政の改革で、歌舞伎界は大きな打撃を受けていましたから、蔦重は新人をプロデュースして業界を盛り上げようとしたのでしょう。ただ、写楽の絵柄は斬新すぎて、役者を推している人の間でも賛否両論あったといわれています。わずか1年弱の活動期間でありながら、出版された浮世絵の点数は多く、勢いがあったのは間違いありません」

4

『三代目瀬川菊之丞の田辺文蔵妻おしづ』(写真)も、写楽らしさが発揮された作品だ。
「『役者絵』は普通なら理想の姿を描くのですが、写楽はリアルに描きすぎです。この作品も美しい女形なのに、顎が出っ張っていますし、目のしわまで描いているので男性っぽさが感じられてしまう。それでも、写楽の絵は華やかでインパクトがあります。決してうまくはないですが、力があって記憶に残る絵といえましょう」

人々を旅へといざなった「名所絵」

ダミーイメージ

「名所絵」そのものは浮世絵が誕生したころから制作されているが、爆発的に増えたのは1830年ごろという。江戸時代の半ばに街道の整備が進んで交通網が発達し、神社仏閣への参詣が流行したため、「名所絵」のブームが起こったのだ。
歌川広重(うたがわひろしげ)の『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』(写真)は、橋の上で夕立に遭い、逃げ惑う人々を描いている。
「画面全体を覆うような雨の線が強烈な作品ですが、黒い墨の線とグレーの少し斜めの線が重なり合うことで、夕立の激しさと奥行き感を出しています。シャープな線を彫った“彫師(ほりし)”の技術も見事なものですし、“摺師(すりし)”もたいへんだったと思います」と日野原さん。

6

葛飾北斎(かつしかほくさい)の『富嶽三十六景・神奈川沖浪裏(なみうら)』は、新千円札の図案にも選ばれた日本を代表する美術作品だ。
「北斎は実際の景色を写実的に描こうとせずに、頭のなかで富士山と自然の風景を組み合わせてオリジナルの風景をつくったと思われます。波をリアルに描いているといわれますが、どう考えてもこんな爪のような波しぶきにはなりませんし、波の裏側もストライプ模様にはなりません。にもかかわらず、波の一瞬を切り取ったような説得力があるのです」
日野原さんによれば、“だれが見ても波の絵だと実感できる形”に落とし込んでいることに、北斎の凄みがあるという。国内外で人気が高いのも、北斎の力量はいうまでもなく、波という普遍的なモチーフを描いているためとも考えられる。
江戸時代の人々も現代人と同様に、一度は訪れたい名所や“推し”の歌舞伎役者などに憧れを抱いていた。そういった人々の想いに応えるべく、版元と浮世絵師は数多の浮世絵を生み出していった。それはまさに江戸文化の豊かさの象徴であるとともに、現代のコンテンツビジネスなどに繋がる日本文化のルーツといえるかもしれない。

TOP